2005年敬请关注!

简介:戊辰戦争で最も過酷な戦いといわれる北越戦争。その中心となった長岡藩の家老に蒼龍と呼ばれた男がいた。河井継之助である。彼は20代より才覚を示し、山田方谷に教えを乞うたりした。その最中に松代藩の稲葉隼人と出遭ったりした。慶応4年正月、鳥羽・伏見の戦いの後方を任された長岡藩は大坂城の異変に気付く。河井が大坂城に入ると誰もいなかったのである。河井は藩兵を急いで引き上げさせる一方で江戸屋敷の家財は売却させ、欧米の新型兵器の購入を急いだ。その中には日本に3挺しかないガトリング砲も含まれていた。河井はこれらの新兵器を長岡に持ち帰り、急いで国境を固めていった。河井の考えは新政府にも奥羽各藩にも味方しない武装中立であった。しかし、新政府も会津藩も長岡を戦争に巻き込もうと画策していく。5月2日、長岡の方針を新政府に伝えようと小千谷にある慈眼寺に河井は訪れた。慈眼寺には新政府の本陣があったのである。河井は新政府の軍監岩村精一郎に長岡の考えを伝えるが、岩村は恭順しない長岡の提案を拒否してしまう。河井はその夜、上田藩本陣、松代藩本陣を訪ねて新政府との交渉継続をお願いするが、門前で追い返されてしまうのであった。稲葉隼人は陣中で河井の声を聞くが藩論に従い、河井とは接触しなかったのである。ここに長岡戦争は始まった。長岡藩は必死に抵抗するが、薩摩藩の奇襲で本城を奪われてしまう。その後一進一退の戦局が続く中、八丁沖の渡河作戦を決行し本城を奪還するのだった。しかしその日の夕刻、援軍を待っていた河井は狙撃され、城も奪還されてしまい、会津へ落ち延びる最中に鉛毒で命を落とすのであった。…